「テレビはつまらない」。なのに、ネットでテレビを見る不思議

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20060803/107493/

「テレビはつまらない。見るのはインターネットばかり」と言いながら、インターネットでテレビのコンテンツを見ている、そんな状況が発生しているのです。

えーと、誰が言ってるのか知らないけど、「テレビはつまらない」と言い切るのは違うと思う。「つまらない番組はつまらない」し「くだらない番組はくだらない」が、「面白い番組は面白い」としか言いようがないからだ。当たり前だけど。
我が家ではテレビを1秒も見ないけれども、その代わりにインターネット(YouTubeなど)で話題になっているテレビ番組のワンシーンは観る。でもそれは「テレビがつまらない」からではなく、「誰かが面白いと言っているものを短時間で観るのにインターネット(YouTubeなど)が便利」だからだ。不思議でもなんでもないし、たまたまそれがテレビ番組である場合が多いだけだ。第三者が「この番組のココからココまでが面白いよ!」とピンポイントで抽出し提供してくれて、自分の都合で観ることができる。面白いものに出会うチャンスが格段に上がるうえに、ただ漫然とテレビを眺めているよりもずっと時間の短縮になる。観る個々人が「面白い」と感じるもの以外はすべて「つまらない」ものであることは確かだから。

たとえば学校や職場での「あの記事読んだ?」という問いかけに対して「え、うち、新聞とってないから…」と、同時体験の可能性が低下しています。

 ではそれで「同時体験の時代」は終わりかというとそうではありません。「これ見た?」「いや、見てない」「じゃあ、このサイトにあがってるから見てみろよ」「OK…。…ウォ、これスゴイじゃん!」「だろ!」と、ネットワークの力によって「同時体験の追体験」が出来るようになっているのです。

「新聞読んだ?」という質問なら「新聞とってないから…」と言うけれど、「あの事件さあ…」という問いかけならソースやメディアが何であろうと話題にはついていける。特定の○×新聞の△△コラムを読んだか、と言われれば話は別だが。だから逆に私は同時体験の可能性は下がっていないと思う。それは情報を収集する側のルートや形態が変わっただけの話。ニュースも然り、たとえば面白いCMがあるよ、と聞けばそのCMが放送されるのを待って漫然とテレビをつけておくなどという無駄なことはせずに商品の公式サイトで動画を見る。その際にもしかしたら商品自体にも興味を持つかもしれない。

要は、能動と受動の違いだと思う。インターネットは、自らがクリックという能動的な行動を取らない限り、情報は入ってこないからだ。インターネットユーザは自分の意思で、必要な情報だけをピックアップしている。たまたまそれが「テレビ番組の動画」であったりもするが、「テレビを観ている」というよりも「テレビでこんな面白映像が流れました」をチェックする感覚だと思う。


WEB広告とテレビCM、どちらがより有効か、という点だけでみれば、情報の植え付けという意味ではテレビCMの方が有効のように思う。日常的にテレビを観る人は必然的にCMに触れる機会があるだろう(受動)から、情報として記憶するだろう。上述のように、話題性の高いテレビCMはインターネットでも見ることが出来るし。けれども単なるネット広告は信頼性の問題などもあり、よほどのことがない限り絶対にクリック(能動)しない。少なくとも私はそうだ。

 当然のことながらつまらないテレビの番組は、インターネット上においても誰も見ません。

 ワンウェイ、ツーウェイの議論同様、今後のネットコンテンツという市場において、テレビ時代からのオールド陣営が勝つのか、ネットから生まれた新陣営が勝つのか、という議論にもあまり意味がないのではないかと感じています。けっきょくは「イイモノ」が勝つ、という当たり前の結論に行き着くしかないのではないでしょうか。

というかそもそもテレビとインターネットはまったく違うものであるから、連動はすれども比較は出来ないと思う。それが私の考え。